東京地方裁判所 平成9年(ワ)18671号 判決 1998年6月25日
原告 日本抵当証券株式会社
右代表者代表取締役 A
右訴訟代理人弁護士 西坂信
同 山本昌彦
同 渡部朋広
同 桝田裕之
被告 有限会社 西川書店
右代表者取締役 B
右訴訟代理人弁護士 中田真之助
主文
一 原告の、平成一〇年三月三一日から平成一八年一二月三一日まで毎月末日かぎり各各金六〇万円及び平成一九年一月三一日かぎり一〇万二七九四円の支払いを求める訴えを却下する。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
被告は、原告に対し、四二〇万円並びに平成一〇年三月三一日から平成一八年一二月三一日まで毎月末日かぎり各金六〇万円及び平成一九年一月三一日かぎり一〇万二七九四円を支払え。
第二事案の概要
本件は、抵当権の物上代位に基づき、訴外有限会社王子扇屋(以下「訴外会社」という。)の被告に対する賃料債権を差押えた原告が、被告に対し、平成九年七月分から平成一〇年一月分の賃料合計四二〇万円並びに平成一〇年三月三一日から平成一八一二月三一日まで毎月末日かぎり各金六〇万円の賃料及び平成一九年一月三一日かぎり一〇万二七九四円の賃料の支払いを求めて取立訴訟を提起した事案である。
一 争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実
1 原告は、抵当権の物上代位に基づき、訴外会社の被告に対する別紙差押債権目録<省略>の賃料債権の差押を東京地方裁判所に申立て(東京地方裁判所平成七年ナ第一〇四六号事件)、同裁判所は、平成七年九月二二日に差押命令を発令し、右差押命令は、被告に対し平成七年九月二六日に、訴外会社に対し平成七年九月二九日に到達した。(争いがない。)
2 訴外会社の被告に対する賃料債権は、一か月六〇万円で、被告は毎月末日までに翌月分を訴外会社に支払う旨の合意がある。(甲一、乙一)
3 被告は、被告と訴外会社間の賃貸借契約に基づき昭和六二年六月一九日に被告が訴外会社に預託した六〇〇〇万円の保証金の返還債権のうち四二〇万円につき、平成九年六月一九日に弁済期が到来したが、右四二〇万円の保証金返還債権を自働債権として、平成九年七月分から平成九年一二月分の賃料債権を受働債権として対当額で相殺する旨、訴外会社に対し、平成九年六月二三日付内容証明郵便により意思表示し、右郵便は、訴外会社に平成九年六月二四日に到達した。(乙四の1、2)
被告は、右四二〇万円の保証金返還債権を自働債権として、平成一〇年一月分の賃料債権を受働債権として対当額で相殺する旨、訴外会社に対し、平成九年七月二八日付内容証明郵便により意思表示し、右郵便は、訴外会社に対し平成九年七月二九日に到達した。(乙六の1、2)
被告は、原告に対し、平成九年七月分から平成一〇年一月分までの七か月分の賃料合計四二〇万円を支払わない。(争いがない。)
4 被告は、原告に対し、平成一〇年二月分及び三月分の賃料を支払っている。(争いがない。)
二 争点
1 原告の将来の給付の訴えは適法か。
被告は、原告の請求のうち、平成一〇年三月三一日から平成一八年一二月三一日まで毎月末日に弁済期の到来する各六〇万円の賃料及び平成一九年一月三一日に弁済期の到来する六〇万円の賃料のうちの一〇万二七九四円を、右各弁済期かぎり、その支払いを求める将来の給付の訴えは、あらかじめ請求をなす必要性がないものであり、不適法であると主張する。
2 被告による、争いのない事実3項記載の相殺の意思表示により、平成九年七月分から平成一〇年一月分までの七か月分の合計四二〇万円の賃料債権は消滅したか。
(一) 被告の訴外会社に対する保証金返還請求権は、原告による賃料債権の差押前に発生しているか。
原告は、被告の訴外会社に対する保証金返還請求権は、原告の賃料債権の差押後発生した債権であり、右債権による相殺をもっては差押債権者である原告に対抗できないと主張する。
(二) 原告の抵当権の物上代位に基づく差押えは、被告の相殺に優先するか。
原告は、抵当権の物上代位に基づく差押の場合には、第三債務者の相殺が差押に優先して効力を生じるためには、差押の効力発生前に相殺適状に達したこと及び差押の効力発生前に相殺の意思表示がなされたことを要すると主張する。
第三争点に対する判断
一 争点1について
原告は、将来の給付の訴えとして、抵当権の物上代位に基づき差押えた賃料債権のうちの、平成一〇年三月三一日から平成一八年一二月三一日まで毎月末日に弁済期の到来する各六〇万円の賃料及び平成一九年一月三一日に弁済期の到来する六〇万円の賃料のうちの一〇万二七九四円の合計六三七〇万二七九四円を、右各弁済期かぎり、その支払いを求めるものである。
被告は、六〇〇〇万円の保証金のうちの七〇パーセントである四二〇〇万円については、平成九年から平成一八年までの毎年六月一九日に各四二〇万円につき弁済期が到来し、右各弁済期が到来すれば順次、賃料債権と相殺する予定であると主張している。第二・一3項のとおり、被告は、平成九年六月二三日付及び同年七月二八日付内容証明郵便により、平成九年六月一九日に弁済期が到来した四二〇万円の保証金返還請求権を自働債権として、平成九年七月分(弁済期平成九年六月末日)から平成一〇年一月分(弁済期平成九年一二月末日)の合計四七〇万円の賃料債権を受働債権として対当額で相殺する旨意思表示している。
しかしながら、被告は、賃料債権につきその発生及び存在並びに原告が取立権を有することを争っておらず、第二・一4項のとおり、被告は、原告に対し、平成一〇年二月分及び三月分の賃料を支払っており、平成一〇年三月三一日から平成一九年一月三一日までに弁済期の到来する賃料債権の額は、被告が主張する平成一九年一月三一日までに弁済期の到来する保証金返還請求権の額を大きく上回っていることからみて、原告が将来の給付の訴えとして請求する賃料債権のうち保証金返還請求権による相殺がなされない賃料債権については、被告が弁済期どおり履行をしないとみる事情はないこと、訴外会社が、保証金を弁済期どおり被告へ返還する可能性がないことを認める証拠はなく、保証金を弁済期どおり被告に返還した場合、被告が、原告に対し、賃料を弁済期に履行しないとみる事情はないこと、原告の物上代位に基づく差押えが被告の相殺に優先するとの判決が確定した場合でも、被告が原告に対し、賃料を支払わないとみる事情もないことからすれば、原告に、履行期未到来の、平成一〇年三月三一日から平成一九年一月三一日までの毎月末日に履行期の到来する賃料につき、あらかじめ請求をなす必要性があるとは直ちに言えず、右賃料の請求が将来の給付の訴えとして特に許されるものとは言えない。
二 争点2(一)について
1 証拠(甲一、乙一、弁論の全趣旨)によれば、被告と訴外会社は、昭和六二年六月一九日、賃貸借契約を締結したが、右契約において、賃貸借期間を昭和六二年六月一九日から一〇年間とする、ただし期間満了の場合は更新することができる、被告は六〇〇〇万円を保証金として本日訴外会社に預け入れ、訴外会社はこれを受け取った、訴外会社は預託された保証金について一〇年間据置き、七〇パーセントを一一年目より一〇年間均等にて分割する、三〇パーセントは敷金に振替えるものとする、本契約が解除された場合、保証金を右のとおり分割して返済する、ただし、被告が被告と同等以上の条件をもって第三者を誘致し、訴外会社の承諾を得た場合は、その新たに預託された保証金をもって、被告に一時に全額を返済する、訴外会社は賃貸借契約が終了し、被告が賃貸借室の明渡しを完了し、訴外会社に対する一切の債務を完済したときに敷金の全額を返還するものとする旨の合意がなされたこと、被告と訴外会社は、平成九年六月一九日に賃貸借契約を更新したことが認められる。
2 1項記載の合意によれば、六〇〇〇万円のうちの七〇パーセントである四二〇〇万円の返還請求権については、平成九年六月一九日から平成一八年六月一九日まで毎年六月一九日かぎり各四二〇万円ずつ分割して四二〇〇万円全額を返還することが明確に定められており、右四二〇〇万円につき、賃貸借終了後、建物の明渡がなされた時において、賃貸借契約により訴外会社が被告に取得することがあるべき一切の債権を控除し、なお残額があることを条件として返還するような合意でないことは明白である。
したがって、六〇〇〇万円のうちの七〇パーセントである四二〇〇万円の返還請求権については、確定期限付債権として昭和六二年六月一九日に発生していることは明らかである。
三 争点2(二)について
1 相殺の制度は、互いに同種の債権を有する当事者間において、相対立する債権債務を簡易な方法によって決済し、もって両者の債権関係を円滑かつ公平に処理することを目的とする合理的な制度であって、相殺権を行使する債権者の立場からすれば、債務者の資力が不十分な場合においても、自己の債権については確実かつ十分な弁済を受けたと同様な利益を受けることができる点において、受働債権につきあたかも担保権を有するにも似た地位が与えられるという機能を営むものである。相殺制度のこの目的及び機能は、現在の経済社会において取引の助長にも役立つものであるから、この制度によって保護される当事者の地位は、できるだけ尊重すべきものであって、当事者の一方の債権について差押が行われた場合においても、明文の根拠なくして、たやすくこれを否定すべきものではない。
およそ、債権が差し押さえられた場合においては、差押えを受けた者は、被差押債権の処分、ことにその取立をすることを禁止され、その結果として、第三債務者もまた、債務者に対して弁済することを禁止され、かつ債務者との間に債務の消滅またはその内容の変更を目的とする契約をすることが許されなくなるけれども、これは、債務者の権能が差押によって制限されることから生ずるいわば反射的効果にすぎないのであって、第三債務者としては、右制約に反しないかぎり、債務者に対するあらゆる抗弁をもって差押債権者に対抗することができるものと解すべきである。すなわち、差押は、債務者の行為に関係のない客観的事実または第三債務者のみの行為により、その債権が消滅しまたはその内容が変更されることを妨げる効力を有しないのであって、第三債務者がその一方的意思表示をもってする相殺権の行使も、相手方の自己に対する債権が差押を受けたという一時によって、当然に禁止されるべきいわれはないというべきである。
もっとも、民法五一一条は、一方において、債権を差し押さえた債権者の利益をも考慮し、第三債務者が差押後に取得した債権による相殺は差押債権者に対抗しえない旨を規定している。しかしながら、同条の文言及び前示相殺制度の本質に鑑みれば、同条は、第三債務者が債務者に対して有する債権をもって差押債権者に対し相殺をなしうることを当然の前提としたうえ、差押後に発生した債権または差押後に他から取得した債権を自働債権とする相殺のみを例外的に禁止することによって、その限度において、差押債権者と第三債務者の間の利益の調整を図ったものと解するのが相当である。したがって、第三債務者は、その債権が差押後に取得されたものでないかぎり、自働債権及び受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達しさえすれば、差押後においても、これを自働債権として相殺をなしうるものと解すべきである。
2 1項記載の、差押後においても、第三債務者は、その債権が差押後に取得したものでないかぎり、自働債権及び受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達しさえすれば、これを自働債権として相殺をなしうるものと解すべき理由すなわち民法五一一条の文言及び相殺制度の本質からすれば、抵当権の物上代位に基づく差押を、強制執行による差押ひいては滞納処分としての差押などと別異に解すべき理由はない。
なお、抵当権は、抵当権設定登記によって公示され、抵当権の効力が物上代位の目的債権についても及ぶことは右登記により公示されているとみることができることから、強制競売による差押等の場合と異なり、抵当権設定登記後差押までに第三債務者が取得した債権を、自働債権として、物上代位の目的債権を受働債権として相殺したときに、あるいは、抵当権設定登記前に第三債務者が取得した債権であっても、抵当権設定登記後差押までに債務者及び第三債務者が右債権の条件、弁済期などを変更し、その債権を、自働債権として第三債務者が、物上代位の目的債権を受働債権として相殺したときに、第三債務者が抵当権の存在を抵当権設定登記により認識し第三債務者に背信性があるような特段の事情がある場合に、信義則等により相殺の効力を制限するのが相当な場合はあり得よう。
しかしながら、二項記載のとおり、被告は、昭和六二年六月一九日、四二〇〇万円の返還請求権につき、平成九年六月一九日から平成一八年六月一九日まで毎年六月一九日かぎり各四二〇万円ずつ分割して四二〇〇万円全額の返還を受けるとの確定期限付で取得しており、証拠(甲八)によれば、原告のために抵当権設定登記が経由されたのは、被告が右債権を取得した後である昭和六三年四月三〇日であることが認められるから、本件は、およそ、信義則等により被告の相殺の効力を制限すべき事案でないことは明らかである。
したがって、被告による相殺は、原告の物上代位に基づく差押に優先する
四 争点2について
二及び三項のとおり、被告の相殺により、平成九年七月分から平成一〇年一月分までの合計四二〇万円の賃料債権と平成九年六月一九日に弁済期が到来した四二〇万円の被告の訴外会社に対する返還請求権が消滅したものと認められる。
したがって、原告の請求する、平成九年七月分から平成一〇年一月分までの合計四二〇万円の賃料債権は、被告の相殺により消滅しているから、被告は原告に対し、右賃料債権の支払義務を負わない。
五 結論
したがって、原告の請求のうち、将来の給付を求める訴えは不適法であるのでこれを却下し、その余の請求は理由がないのでこれを棄却することとする。
(裁判官 宮武康)
<以下省略>